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地雷博物館

カンボジアといえば地雷と切っては切れない。
アンコール遺跡でも整備されていない場所は未だに地雷が眠っている可能性があるという。
ポルポトに続き地雷についても勉強しようと負の遺産を訪れた。

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アキー・ラー氏通称アキラ氏が建てた地雷博物館。

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1970年から約30年に及ぶ内戦中に、紛争4派(政府軍、クメール・ルージュ、シハヌーク派、ソン・サン派)によって狭い国土に大量の地雷が埋設され、世界で最も地雷埋設密度の高い国と言われています。

カンボジアでは1960年代にベトナム戦争が激化し始めた頃、アメリカ軍特殊部隊がカンボジア領内に地雷を埋めたのが地雷敷設の最初だとされています。
その後1979年にベトナム軍が侵攻して以来、10年の間に数百万個の地雷がベトナム軍やカンボジアの紛争4派によって埋められました。

これらの地雷は街や村、軍事施設、物資の供給路を守るために使われました。

さらにベトナム軍が1989年に撤退した後、カンボジア政府軍と3派連合(ポル・ポト派、シハヌーク派、ソン・サン派)がどちらも地雷を大量に敷設しました。
(テラ・ルネッサンスHPより抜粋)

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小さな博物館ですが、館内には実物の展示やパネルでの解説があります。

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アキラ氏。
彼の生い立ちはすごい。壮絶です。
以下HPより抜粋

「わたしにも両親はいましたが、5歳の時二人とも罪とは言えないような罪に問われてクメール=ルージュに殺されてしまいました。しかしその後、驚くべきことにそのクメール=ルージュによってわたしは兵士として育てられていったのです。
銃の使い方から地雷の設置の仕方、あげくの果てには簡単な爆弾の作り方までみっちりと教え込まれ、たった10歳にして自分の銃を与えられたのでした。

13歳の時、わたしの村はベトナム軍に占領され、ベトナム軍にくだるか殺されるかという窮地に立たされました。結局わたしはベトナムに徴兵され今度はかつての「育ての親」ある、クメール=ルージュを相手に戦うことになります。
1990年にベトナム軍がカンボジアから引きあげるまで、わたしは彼らと共に過ごしました。そしてその後、依然としてクメール=ルージュと敵対していたカンボジア軍に入軍することになったのです。」

その後内戦が終わると彼は平和維持軍に入り、自分自身が埋めた地雷も含め危険な撤去作業を
行っていくことになる。

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中田も訪れたようだ。

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地雷は戦中も戦後も多くの負傷者と死者を出した。
対人地雷は敵兵の負傷を目的として作られた。
敵兵1名に重傷を負わせれば、敵は重傷者を後送する兵・手当てする兵を確保せねばならず、前線の敵兵力を2名以上減らすことができるからだ。

今でも一部の国々は地雷を生産している。
地雷が早くなくなればいいと思う。
遠い国の話ではなくて、これはすぐ近くの国の話。
同じ世界の地球のお話です。

アキラ地雷博物館↓
http://peace.s9.xrea.com/
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